文化の違いは考え方の違いに通じる

私たち日本人は島国に住んでいます。だから、異国の人たちとの交流は歴史的に見ても多くはありません。日本文化はそういう意味で島国という地理的な条件で守られてきたという側面もあるのかもしれません。
こういう状況なので、日本人はあまり異国の人たちとの文化の違いを意識するチャンスがありません。でも、文化というか、その国の人の常識の違いが、基本的な考え方の違いと直結していることはあまり意識されていません。

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とても身近な例で言うと、あいさつについて考えてみましょう。職場や学校でその日、最初に会ったとき、とても仲が良ければ元気に「おはよう!」とか、「元気?」とか、いきなり「ねえねえ、、」とか「あのさ、、」とか本題に入ったり、でも、そんなに仲良くなかったりしたらどうですか?儀礼的にあいさつしたり、目があってしまえば、だまって軽く会釈したり、面倒くさいから目を合わさなかったりって経験ありませんか?
アメリカに行って、支社のオフィスや取引先のオフィスに行くと、当然、自分は部外者なので知らない人たちがたくさんいるわけです。一人で廊下を歩いていると、反対側から若い女性が歩いてきます。日本だったら、まず目を伏せて通り過ぎるか、少し目線をずらして会釈をするくらいが普通ではないでしょうか。でもアメリカでは、多くの場合(必ずではありません)、その女性は見知らぬ私に満面の笑顔でこちらをみて「ハイ!」と言います。

ある日系アメリカ人のコンサルタントが言ってたことですが、アメリカ人のルーツはハンターで、日本人は農耕民族。だから基本的に他人との距離の取り方が違うと。そのとき事例として挙げてくれたのが、職場で新しい上司が赴任してくると、日本人の場合はどんな上司なのか、じっと静かに様子を見るというのが普通ですが、アメリカ人の場合は、あえて新しい上司に挑戦していきますというのです。わざと意地悪をしたり、ルールを破ってみたりして、その上司がどういう反応すをするかをテストするのがアメリカ人だと言います。つまり、新しい上司との関係、境界を自分で作りにいくというわけです。

先のオフィスでの女性も、笑ってあいさつをするのは別にこちらを気に入ってとかそういうことではなく、黙って素通りするのが逆に危険であって、相手がどんな人物かを見るため(本人は意識してないかも)に、距離感をはかっているというのです。
Pushして反応を見て距離感をはかるのがアメリカ流であって、常に相手を獲物として捉えているのが根底にあるとすると、「いつもお世話になっております。」なんて言葉は生まれてこないわけです。

技術の仕事をしてきて一番大きな違いを感じたのは、日本人はやりながら考えて、やりながら修正していくのが普通だと思っています。でも、アメリカ社会では、すべて最初に定義して、そこからずれたらどうするかも予め考えたうえで進めるというものです。つまり契約社会であって、最初の契約で範囲をすべて決めてしまって、そこで議論されてないことは、次に契約を変えない限り絶対にやらないか、やったとしてもスコープ外という認識でやるというものです。

日本人はやりながらわかって来たことがあるなら、その場で方向修正してお互いに協力してやるのが常識だと思っています。それをそう思っていない人たちに押し付けてしまいます。ドイツ人の元上司に言われたことがありますが、「日本人はいつも自分たちが正しくて、特別な存在だと思っている。」と。ちょっと考えさせられます。

この辺の話は、「異文化理解力」エリン・メイヤー著の中で、詳しく面白く説明されています。

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言葉の話に戻すと、英語では主語が中心です、中でも一人称、つまり「私」というのが考えの中心です。私は何をしたい、私はどう思っている、ということです。これもハンターの資質から来ているのかもしれません。一方、日本人は、私、私というのは自己中心的とか言われます。「聞き上手」ということが美的意識で見られて、発言ばかりしている人は敬遠されたりします。アメリカの大学の講義では、講師がしゃべってるのは、30%から40%なんていうのは当たり前で、あとは生徒たちが勝手に自分の意見を言い始めます。

「私」が中心なので、「私」が何をしたいのかが最優先です。日本人の会社への帰属意識みたいなのとは、根本のところで違っています。アメリカ人が自分の会社を嫌いなわけではありません。あくまでどちらが大事なのかってことです。別の投稿で、日本語の「よろしくお願いします。」って言葉が英語にはないという話をしました。「よろしくお願いします。」ってよく考えると、ちょっと他人任せな言葉ですよね。日本人の奥ゆかしさという見方も出きますが、自分中心の英語社会では、これも生まれない言葉なのかもしれません。

また、日本語は主語が非常にあいまいです。自分がしゃべっている日本語の文章の主語は何かって自問してみると、即座に答えられないことに気付くと思います。(やってみてください。)
英語は、文章を考えるときに主語と動詞をまず先に頭に浮かべます。

日本人が、英語で言いたいことを表現するときに、文章構造の違いでつまづきます。英語の苦手な日本人が何か英語で言おうとして、最初に頭に浮かんだ日本語の単語を口に出して、そのままう~んと詰まってしまう光景をよく目にします。このときの最初に浮かぶ言葉は、主語ではないのです。日本人が最初に言いたいこと=目的語だったり、形容詞だったりします。そこから主語や動詞、文章の構造が浮かばずに焦ってしまうわけです。これは考え方の根本的な違いでつまづいているわけです。日本の考え方を切り替えないまま英語を作ろうとするからだと思います。英語でコミュニケーションするためには、英語の考え方、英語の文化の中で意思を伝えるコミュニケーションを考えなければいけません。それが英語を使うということだと思います。英語を使う人たちの文化や考え方を理解すると、英語をデザインするための切り替えがしやすくなると思います。

英語の世界に入っていくのですから、文化の違いも理解するように心がけてみましょう。
「コミュニケーション」、「意思を伝え合う」ということが、非常に大事だということを繰り返して申し上げてきました。意思を伝えあうには、相手をよく理解する必要があります。だから、相手を、相手の背景となる文化を理解することが、英語を身につける上でも必要だということです。

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まったく英語が使えなかった私が、何とかビジネスで英語が使えるようになったのは、結論を言うと、英語を「コミュニケーション」をする「意思を伝えあう」ためのツールとして捉えて、ツールを使いこなすためのコミュニケーションの実践をしてきたからだと思っています。自分で参考書を広げて勉強したり、単語帳を作って単語を覚えたり、CDを何度も繰り返して聞いたりが、悪いわけではありませんが、単語の記憶ひとつとっても効率悪いことは理解できると思います。自分の言葉を作るのに使った単語、熟語、構文は一度使えば絶対に忘れません。しかも相手を理解する努力の中で言葉をデザインする力がぐんぐん着いていきます。だからとにかく実践が大事です。でも、口頭での会話は、日本人が英語を使い慣らすためのハンデキャップになります。だから、同じコミュニケーションでも、時間を使えるe-mailコミュニケーションを実践することから始めるのが、一番いい方法なのではないかと、自分自身の経験から思います。

相手を理解して意思を伝えあう、ということを実践することです。


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