シンガポール出張で受けた衝撃

外資系企業に転職して2か月くらいたったころ、会社のトレーニングを受けるためシンガポールに出張することになりました。
海外出張は日本企業時代にも2度ほど経験があった(いずれも北米)のですが、そのときは出張先に日本人の駐在はいるし常に同行者もいる状態でしたが、今回は日本からは一人、出張先にも日本人はいないという、初めての単独出張でした。

シンガポールの空港に着いて、タクシーでホテルまで移動したときのことです。気さくな運転手で、こちらが日本人と知ってたかわかりませんが、英語で話しかけてきます。「仕事で来たの?」「シンガポールにはよく来るの?」などなど。まあ、このくらいの会話は何とかこなせるようになっていましたが、しばらくすると、運転手の携帯電話がなって、運転手が中国語(イントネーションから中国語と推察された)で話し始めます。このときは、それほど何も感じなかったのですが、そのあとしばらくして、また携帯が鳴ります。で、今度は先ほどの中国語とは明らかに違う言葉で会話が始まったのです。おそらくマレー語ではないかと思うのですが、中国語でも英語でもない言葉です。つまり、この運転手のおじさんが、少なくとも私の前で3か国を使いこなしたというわけです。

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失礼な言い方かもしれませが、タクシーの運転手という、日本でいうといわゆる中流層の普通のおじさんが3か国語(少なくとも)をこともなげに話せるということに、大きな衝撃を受けたわけです。

こんなに頑張ってるのに、英語すらこのおじさんにかなわないと思うと、言葉って、もしかするとそんなに難しく考えるものではないのかもしれないと思ったわけです。

翌日からのトレーニングは、10人に満たない参加者で、半数以上が現地のアジア人、数人のインド人、韓国人1人と私が生徒で、講師はアメリカ人という構成でした。技術系の講義なので、何とか必死に聞くことに専念します。でも、他のアジア人たちは、積極的に質問やコメントを講義中に入れていきます。ずっと黙ってる私に、ときどき講師が質問を向けますが、これが苦痛で、でもポンコツ英語で何とか返します。

3日間くらいのトレーニングだったと思います。食事もずっといっしょだったのですが、みんなが私を気遣って、輪の中にキープしてくれようとするし、ポンコツ英語でも理解しようとしてくれます。まあ、受け入れてもらったうれしさはありましたが、なんとなく情けないと思う気持ちもありました。
特に、タクシーの運転手のことを思い出すと、尚更さびしい思いがしてきました。

講義の最終日が終わると、ほとんどのメンバーがその日のうちに帰宅します。私と講師のアメリカ人だけが翌日の飛行機ということで、最終日の夜はアメリカ人講師と二人で夕食をとりました。講義の反省会などをやりながら、私が、自分の英語のふがいなさにについて話すと、「俺は日本語を話せないよ。でもこうやってコミュニケーションできてるじゃないか。」と言って慰めてくれます。「まあ、もうちょっと頑張った方がいいけどね。」とも言いましたが、最後に講師が言ったのは、「そういえば、あのインド人(そのときは名前で言ってましたが)の英語は、俺もよくわからなかった。」と。

日本人が海外旅行をすると、英語頑張らなきゃと、帰ってから英語の勉強を始めたりします。(3日坊主になりがちですが)
このときのシンガポール出張では、もちろん、大きな刺激を受けたわけなのですが、もっと根本的なところでもしかすると勉強のしかたというか、英語に対する考え方が違うのではないかと思い始めることになりました。

「英語は勉強するな。」ということを言う人がいます。ある意味正しいのかなと思うのは、日本人は「英語」に対して苦手意識と「憧れ」のようなものがあって、がんばって”自分”で勉強しようとしすぎるのかなと、それで、なかなか壁を越せないで、いやになってしまう。
ここまで読んでいただいて、気が付いた方もいらっしゃるかもしれませんが、大事なことは「意思を」伝え合う「コミュニケーション」であって、英語はそれを実現するための「ツール」に過ぎないわけです。
ツールを使いこなすのは、「実践」しかありません。コミュニケーションの実践をすることが、ツールである英語を使いこなすための唯一の方法だっていう、当たり前のことに気付くことなのかもしれません。


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