40歳過ぎての英語との格闘記

コラム

今から20年も前の話です。

日本の大手企業で働いていて、40才で外資系企業からヘッドハンティングを受けて、英語は全くできなかったのですが、一大決心をして転職して英語と格闘したことを振り返って書いてます。(「日本人のための英語教育を考える」サイトから転載)

 

日本企業から外資系への転職

40歳を目前に控え、仕事はやりがいもあり会社生活も充実はしていたのですが、その1か月前にアメリカ出張に行ってから、心のどこかにこのままでいいのだろうかという思いが芽生え始めていたときに、ヘッドハンティング会社から電話が入りました。外資系企業からのお誘いでした。

ほとんど冷やかしで行った面接で、体全体からオーラの出ている人に出会ってしまって(Yさんとしておきます)、面接の最中に自分はこの人といっしょに働きたいと思ってしまいました。

でも、私にはどうしても言わなければいけないことがあって言いました。「私、英語できませんよ。」

そうしたら、Yさんがこう言いました。「死ぬほど勉強してください。あなたの技術で私たちの会社を良くしたいんです。」

たぶん、このときのYさんの対応に、ほんの一瞬でも迷いがあったら私は決断しなかったと、今でもときどき思い出します。
でも、このときから、私の英語との格闘が始まったのです。

 

期待と不安で迎えた初日、横浜市内にあるオフィスは予想に反してほとんどが日本人で、数人の外国人がいるものの会話はほぼ日本語でした。

なんとなく安堵の気分でいたところ、Yさんから、今晩深夜12時から本社(米国カリフォルニア)と欧州部門との電話会議があるから出てほしいとのこと。

緊張して出た電話会議の冒頭で、何とかはじめましての挨拶をしたものの、残りの2時間の会議は、ほぼまったく何を話しているかがわかりませんでした。会議が終わったのは夜中の2時。大丈夫かなあと、かなりやばい状況。

眠気を覚まして、なんとか気持ちを再度奮い立たせて迎えた2日目。朝からYさんの部屋に呼ばれて行ってみると、別のフロアから来た2人のアメリカ人営業マンとYさんがいて、英語で打ち合わせがスタート。

翌日のお客さんとの会議に同行してほしいということと、その夜に本社からくる別のアメリカ人スタッフと、その日の夕食を付き合って事前に情報を入れてほしいとのこと。

それ以降、行動を共にすることになったアメリカ人営業とは、なんとなくウマがあったので、その日の夕食も次の日のお客さんとの会議もなんとか切り抜けましたが、冷や汗状態でした。

一体、私が絞り出した「私、英語できませんよ。」は何だったのか、というのが外資系でのスタートでありました。

 

 

時差が救ってくれたe-mailでのコミュニケーション

 

私たちの職場は日本で、いっしょにプロジェクトを進めるメンバーの多くは本社のあるカリフォルニアが拠点となります。
なので、働く環境に時差があるわけです。

私たちが朝出勤すると、彼らの時間は夕方でそろそろ帰宅の準備に入るころです。職場でPCを立ち上げると、彼らからのe-mailがたくさん入っているのが日常で、緊急の案件があれば午前中には電話が入ります。

電話会議なども日本時間の午前中に集中します。

ところが、午後になると本社のメンバーは帰宅し、急にメールが流れなくなり電話の音もやみます。

午後は、日本内の仕事と、午前中にやり残した本社とのメールのやりとりになります。

 

 

実は、この時差が私の英語力向上に大いに役にたったというわけです。
午前中の電話会議や、緊急の電話対応などは、まだまだ未熟な会話レベルのため、正しいやりとりが出来ているか、あるいは今一つ言い切れなかったことなどがあって、正直生煮えの状態です。なので、電話会議の議事録はできるだけ自分ですぐに書いて、早く確認をとるということをやりました。

電話でのやりとりも、午後のうちにメールで大事なポイントを確認するメールを書いて送っておきます。何か不足や間違いがあると、次の朝には返信でわかるということです。

そんな中で特に最初のころは、英文メールを書くのにすごく時間がかかっていました。和英辞書をひと時も手元から離せず、でも、自分の思いをどうやって正確に伝えるかを真剣に考えながらメールを作っていきます。

他に英語が今一な同僚も結構いたのですが、わりとメール上でも意思の通じにくい会話をしている日本人がたくさんいました。

口頭の会話で今一つで、さらにメールでの意思疎通も今一つだと、これは信頼関係を築くのが難しいと言わざるをえないし、事実、そういう日本人のスタッフは、本社のメンバーから信頼されないケースが結構あったと思います。

10年間の外資系での活動で感じるのは、日本人が(平均して)英語が下手なことは、グローバルで働く世界中の人たちが知ってることだということです。

そんな中で、どうやって信頼関係を築いていくかは、もちろん英語を必死で上達させるということなんですが、自分の意思をちゃんと伝えたいし、相手をちゃんと理解したいという気持ちが大事だということです。

コミュニケーションは、気持ちを伝えることであって、言葉の上手下手ではないということは申し上げておきたいと思います。

そう、時差をうまく使って、時間を稼ぐことができた。なので、その時間で気持ちを伝える英語をたくさん考えることができた。それが私の英語力向上にものすごく役立ったわけです。

E-mailの文化がなかったら、きっともっと大変だったかもしれません。

 

電話での会話や、直接会って話しをすることは、英語力向上にもちろん役に立つのですが、言いたいことを頭で瞬時に考えて話せるようになったのは、このころに必死でメールを書く練習が出来たことが一番大きかったと今では断言できます。

たくさんの外人からのメールを読んで、読むことで何気なく知らなかった表現方法を吸収できて、どうやって意思を伝えるかを一生懸命考えて、一生懸命考えることで忘れないように身に付けることができたのだと今になると言えます。

日本人はヒアリングが出来ないという自己認識が強すぎて、そこばっかりを強化しようとするのですが、実は言いたいことをすぐに言える力が、一番足りてなくて、それが原因で英語力が弱いのだと私は思います。

もうひとつ付け加えると、e-mailってほとんどの場合、しゃべり言葉(いわゆる口語)なのです。だから会話の訓練には最高なのです。

 

通訳をやってわかった意思を伝えるということ

 

外資系企業に移って3か月くらいたったころ、なんと通訳をするようになっていました。

誤解しないでください。3か月で英語をマスターしたというわけではありません。依然として苦労しながらです。

日本企業のお客さんと、自分の会社の本社の外人との間の通訳です。でも、おわかりと思いますが、今振り返ると相当危ない通訳だったと思います。

救いがあったのは、技術の話をするので、技術者である私を含めた参加者にとって、突拍子もないような不可解な単語が少なかったということでしょうか。

もちろん、いわゆる同時通訳ってわけではないので、少し考える時間はあるのですが、それでも待てても数秒ですよね。

少なくとも発言が終わってから数秒後には何かを言いださなければ、通訳としては務まりません。この数秒で文章の形、言いたいことの主題、それを構成する構文や単語、熟語、それらを全部頭で作って、それを口からだすわけです。

そのときに苦しみながら、習得、体得したことは、英語の文章を日本語に変換する、また逆に日本語を英文に変換する、ということではなく、言いたい主旨を理解して、その本質、つまりは”意思”を変換したい言語で表現する、ということです。

完成されたバイリンガルでない自分が通訳をするときに、無理に忠実に訳そうとするのではなく、”意思”を右から左にパスするんだと考えたら、意外と務まったということです。

 

もっと有態に言うと、未熟なために単語が思いつかなかったり、適当な動詞を知らなかったりしたときに、考えても出てこないので違う言い方に変えて言わなければならないことがたくさんあって、そのときに訳したいことを自分が訳せるように意味を変えずに変換することを覚えたのです。

例えば、「今朝の電車はすごく混んでた。」を英語にするときに、crowdedという単語が浮かばなければ、”There were so may people in the train this morning.”でも言いたい主旨は伝わるわけです。「始業時間に間に合った。」を英訳するときに、in timeという言葉が浮かばなければ、I wasn’t late for school.でも言いたいことは伝わりますよね。

英語と日本語は11ではありません。これが実はとても大事なことなのです。

極端な例ですが、日本語にはとても便利な言葉があります。”よろしくお願いします。”ってみなさんも何気に使ってますよね。
これ、英語で言えますか?

というか、この時の発言者の意思は何でしょう??
一体何をお願いしてるのですかね?これが大事なのです。

ひとつわかりやすいのは、これこれの仕事をお願いしたいのだけどと説明して、あとよろしく頼みます、のよろしくお願いします。

すごく砕けて、しかも英語のとても便利な言葉(Thank you)を使うと、
You got it? (Did you get it?) … Thank you!
わかった?ありがとう。

メールなどで、もうちょっと丁寧にいうと、
Thanks for your cooperation (understanding). とか、もうちょっとへりくだって(でもよく使う)、
Your attention on this will be appreciated. とか。すごく簡単なメール表現としては、すべて説明したあとに、
Thanks in advance. (先にお礼を言っちゃう的)

そもそも、こういうことの頼み方、念の押し方がまるっきり違うわけです。
だから、そもそも同じ土俵で考えたら、とても通訳は務まりません。

もうひとつ、始めて会ったときに、(今後とも)よろしくお願いします、というのもよく言いますよね。
これの英語はもっとやっかいです。そもそも、こんなあいさつをアメリカ人はしないと思います。
すごく無理矢理に英語に直すと、Please qualify me as a part of team members. みたいな。でも、こんな表現の英語を私は聞いたことがありません。

たぶん、アメリカ人、西洋人だったら、ここでへりくだるよりは、自分の得意なところを強調するような表現、意思を伝えると思います。
例えば、Call me at any time you need my support. など、最初から多少上から目線で主張するのが私の知っているアメリカ人です。

もっとたくさん事例はありますが、そもそも言いたいことの表現内容に対する考え方が違うし、したがって文章の構造もまったく違います。

「内緒にしてね。」って言う時、secretという言葉が浮かびますが、でも、英語では、 Keep it only between us. なんて表現します。「xxxだけやればいいんですよ。」ってときに、日本人的にはonlyをどうやって使おうかって考えがちですが、All you need to do is xxx. っていう言い方があります。
日本語を英語に、また英語を日本語にでもですが、文章を変換するという考えをまず捨てましょう。大事なのは、”意思”を伝えることです。

 

意思の表現に対する考え方、それを相手に伝える文章の構造、構文がある程度パターンとしてそれぞれの言語で存在します。

これは、文法の教科書では教えてもらえません。でも、決して難しいわけでもないのです。言語(ここでは文法、言語のルールという意味)そのものを強く意識するのではなく、”意思”を強く意識して、それを伝える”わざ”を覚えることだと思います。

 

シンガポール出張で受けた衝撃

 

外資系企業に転職して2か月くらいたったころ、会社のトレーニングを受けるためシンガポールに出張することになりました。

海外出張は日本企業時代にも2度ほど経験があった(いずれも北米)のですが、そのときは出張先に日本人の駐在はいるし常に同行者もいる状態でしたが、今回は日本からは一人、出張先にも日本人はいないという、初めての単独出張でした。

シンガポールの空港に着いて、タクシーでホテルまで移動したときのことです。気さくな運転手で、こちらが日本人と知ってたかわかりませんが、英語で話しかけてきます。「仕事で来たの?」「シンガポールにはよく来るの?」などなど。

まあ、このくらいの会話は何とかこなせるようになっていましたが、しばらくすると、運転手の携帯電話がなって、運転手が中国語(イントネーションから中国語と推察された)で話し始めます。

このときは、それほど何も感じなかったのですが、そのあとしばらくして、また携帯が鳴ります。

で、今度は先ほどの中国語とは明らかに違う言葉で会話が始まったのです。

おそらくマレー語ではないかと思うのですが、中国語でも英語でもない言葉です。つまり、この運転手のおじさんが、少なくとも私の前で3か国を使いこなしたというわけです。

 

失礼な言い方かもしれませが、タクシーの運転手という、日本でいうといわゆる中流層の普通のおじさんが3か国語(少なくとも)をこともなげに話せるということに、大きな衝撃を受けたわけです。

こんなに頑張ってるのに、英語すらこのおじさんにかなわないと思うと、言葉って、もしかするとそんなに難しく考えるものではないのかもしれないと思ったわけです。

翌日からのトレーニングは、10人に満たない参加者で、半数以上が現地のアジア人、数人のインド人、韓国人1人と私が生徒で、講師はアメリカ人という構成でした。技術系の講義なので、何とか必死に聞くことに専念します。でも、他のアジア人たちは、積極的に質問やコメントを講義中に入れていきます。ずっと黙ってる私に、ときどき講師が質問を向けますが、これが苦痛で、でもポンコツ英語で何とか返します。

3日間くらいのトレーニングだったと思います。食事もずっといっしょだったのですが、みんなが私を気遣って、輪の中にキープしてくれようとするし、ポンコツ英語でも理解しようとしてくれます。まあ、受け入れてもらったうれしさはありましたが、なんとなく情けないと思う気持ちもありました。
特に、タクシーの運転手のことを思い出すと、尚更さびしい思いがしてきました。

講義の最終日が終わると、ほとんどのメンバーがその日のうちに帰宅します。私と講師のアメリカ人だけが翌日の飛行機ということで、最終日の夜はアメリカ人講師と二人で夕食をとりました。講義の反省会などをやりながら、私が、自分の英語のふがいなさにについて話すと、「俺は日本語を話せないよ。でもこうやってコミュニケーションできてるじゃないか。」と言って慰めてくれます。「まあ、もうちょっと頑張った方がいいけどね。」とも言いましたが、最後に講師が言ったのは、「そういえば、あのインド人(そのときは名前で言ってましたが)の英語は、俺もよくわからなかった。」と。

日本人が海外旅行をすると、英語頑張らなきゃと、帰ってから英語の勉強を始めたりします。(3日坊主になりがちですが)

このときのシンガポール出張では、もちろん、大きな刺激を受けたわけなのですが、もっと根本的なところでもしかすると勉強のしかたというか、英語に対する考え方が違うのではないかと思い始めることになりました。

「英語は勉強するな。」ということを言う人がいます。ある意味正しいのかなと思うのは、日本人は「英語」に対して苦手意識と「憧れ」のようなものがあって、がんばって”自分”で勉強しようとしすぎるのかなと、それで、なかなか壁を越せないで、いやになってしまう。

ここまで読んでいただいて、気が付いた方もいらっしゃるかもしれませんが、大事なことは「意思を」伝え合う「コミュニケーション」であって、英語はそれを実現するための「ツール」に過ぎないわけです。

ツールを使いこなすのは、「実践」しかありません。コミュニケーションの実践をすることが、ツールである英語を使いこなすための唯一の方法だっていう、当たり前のことに気付くことなのかもしれません。

 

文化の違いは考え方の違いに通じる

 

私たち日本人は島国に住んでいます。だから、異国の人たちとの交流は歴史的に見ても多くはありません。日本文化はそういう意味で島国という地理的な条件で守られてきたという側面もあるのかもしれません。

こういう状況なので、日本人はあまり異国の人たちとの文化の違いを意識するチャンスがありません。でも、文化というか、その国の人の常識の違いが、基本的な考え方の違いと直結していることはあまり意識されていません。

とても身近な例で言うと、あいさつについて考えてみましょう。職場や学校でその日、最初に会ったとき、とても仲が良ければ元気に「おはよう!」とか、「元気?」とか、いきなり「ねえねえ、、」とか「あのさ、、」とか本題に入ったり、でも、そんなに仲良くなかったりしたらどうですか?儀礼的にあいさつしたり、目があってしまえば、だまって軽く会釈したり、面倒くさいから目を合わさなかったりって経験ありませんか?

アメリカに行って、支社のオフィスや取引先のオフィスに行くと、当然、自分は部外者なので知らない人たちがたくさんいるわけです。一人で廊下を歩いていると、反対側から若い女性が歩いてきます。

日本だったら、まず目を伏せて通り過ぎるか、少し目線をずらして会釈をするくらいが普通ではないでしょうか。でもアメリカでは、多くの場合(必ずではありません)、その女性は見知らぬ私に満面の笑顔でこちらをみて「ハイ!」と言います。

ある日系アメリカ人のコンサルタントが言ってたことですが、アメリカ人のルーツはハンターで、日本人は農耕民族。だから基本的に他人との距離の取り方が違うと。そのとき事例として挙げてくれたのが、職場で新しい上司が赴任してくると、日本人の場合はどんな上司なのか、じっと静かに様子を見るというのが普通ですが、アメリカ人の場合は、あえて新しい上司に挑戦していきますというのです。

わざと意地悪をしたり、ルールを破ってみたりして、その上司がどういう反応すをするかをテストするのがアメリカ人だと言います。つまり、新しい上司との関係、境界を自分で作りにいくというわけです。

先のオフィスでの女性も、笑ってあいさつをするのは別にこちらを気に入ってとかそういうことではなく、黙って素通りするのが逆に危険であって、相手がどんな人物かを見るため(本人は意識してないかも)に、距離感をはかっているというのです。

Pushして反応を見て距離感をはかるのがアメリカ流であって、常に相手を獲物として捉えているのが根底にあるとすると、「いつもお世話になっております。」なんて言葉は生まれてこないわけです。

技術の仕事をしてきて一番大きな違いを感じたのは、日本人はやりながら考えて、やりながら修正していくのが普通だと思っています。

でも、アメリカ社会では、すべて最初に定義して、そこからずれたらどうするかも予め考えたうえで進めるというものです。

つまり契約社会であって、最初の契約で範囲をすべて決めてしまって、そこで議論されてないことは、次に契約を変えない限り絶対にやらないか、やったとしてもスコープ外という認識でやるというものです。

日本人はやりながらわかって来たことがあるなら、その場で方向修正してお互いに協力してやるのが常識だと思っています。

それをそう思っていない人たちに押し付けてしまいます。ドイツ人の元上司に言われたことがありますが、「日本人はいつも自分たちが正しくて、特別な存在だと思っている。」と。ちょっと考えさせられます。

この辺の話は、「異文化理解力」エリン・メイヤー著の中で、詳しく面白く説明されています。

 

言葉の話に戻すと、英語では主語が中心です、中でも一人称、つまり「私」というのが考えの中心です。私は何をしたい、私はどう思っている、ということです。

これもハンターの資質から来ているのかもしれません。一方、日本人は、私、私というのは自己中心的とか言われます。「聞き上手」ということが美的意識で見られて、発言ばかりしている人は敬遠されたりします。アメリカの大学の講義では、講師がしゃべってるのは、30%から40%なんていうのは当たり前で、あとは生徒たちが勝手に自分の意見を言い始めます。

「私」が中心なので、「私」が何をしたいのかが最優先です。日本人の会社への帰属意識みたいなのとは、根本のところで違っています。アメリカ人が自分の会社を嫌いなわけではありません。あくまでどちらが大事なのかってことです。

別の投稿で、日本語の「よろしくお願いします。」って言葉が英語にはないという話をしました。「よろしくお願いします。」ってよく考えると、ちょっと他人任せな言葉ですよね。日本人の奥ゆかしさという見方も出きますが、自分中心の英語社会では、これも生まれない言葉なのかもしれません。

また、日本語は主語が非常にあいまいです。自分がしゃべっている日本語の文章の主語は何かって自問してみると、即座に答えられないことに気付くと思います。(やってみてください。)

英語は、文章を考えるときに主語と動詞をまず先に頭に浮かべます。

日本人が、英語で言いたいことを表現するときに、文章構造の違いでつまづきます。英語の苦手な日本人が何か英語で言おうとして、最初に頭に浮かんだ日本語の単語を口に出して、そのままう~んと詰まってしまう光景をよく目にします。このときの最初に浮かぶ言葉は、主語ではないのです。

日本人が最初に言いたいこと=目的語だったり、形容詞だったりします。そこから主語や動詞、文章の構造が浮かばずに焦ってしまうわけです。これは考え方の根本的な違いでつまづいているわけです。日本の考え方を切り替えないまま英語を作ろうとするからだと思います。

英語でコミュニケーションするためには、英語の考え方、英語の文化の中で意思を伝えるコミュニケーションを考えなければいけません。それが英語を使うということだと思います。英語を使う人たちの文化や考え方を理解すると、英語をデザインするための切り替えがしやすくなると思います。

英語の世界に入っていくのですから、文化の違いも理解するように心がけてみましょう。
「コミュニケーション」、「意思を伝え合う」ということが、非常に大事だということを繰り返して申し上げてきました。

意思を伝えあうには、相手をよく理解する必要があります。だから、相手を、相手の背景となる文化を理解することが、英語を身につける上でも必要だということです。

 

まったく英語が使えなかった私が、何とかビジネスで英語が使えるようになったのは、結論を言うと、英語を「コミュニケーション」をする「意思を伝えあう」ためのツールとして捉えて、ツールを使いこなすためのコミュニケーションの実践をしてきたからだと思っています。

自分で参考書を広げて勉強したり、単語帳を作って単語を覚えたり、CDを何度も繰り返して聞いたりが、悪いわけではありませんが、単語の記憶ひとつとっても効率悪いことは理解できると思います。

自分の言葉を作るのに使った単語、熟語、構文は一度使えば絶対に忘れません。しかも相手を理解する努力の中で言葉をデザインする力がぐんぐん着いていきます。

だからとにかく実践が大事です。でも、口頭での会話は、日本人が英語を使い慣らすためのハンデキャップになります。

だから、同じコミュニケーションでも、時間を使えるe-mailコミュニケーションを実践することから始めるのが、一番いい方法なのではないかと、自分自身の経験から思います。

相手を理解して意思を伝えあう、ということを実践することです。

 

have と get を使いこなすと英語はずいぶん楽になる

 

日本人がなかなか英語に慣れないのは、主語と動詞を最初に作るところで主語を意識する感覚が大事であり、また難しいということは述べました。で、次は動詞なのですが、動詞を使いこなすのも日本人には骨が折れます。

で、実は”have”と”get”というとても便利な動詞があります。この2つは魔法の動詞かもしれません。

私は動詞に迷ったらこの2つの動詞が使えないかを考えます。haveは意外と知らないうちにうまく使っています。

で、getは本当にたくさんの使い方があって、「getの使い方49」(ディビッド・セイン、Kindle版)というような本も出ています。

辞書を見てもらうともっとわかりますが、熟語まで含めると、こんな使い方もできるのかと感心してしまいます。これらをモノにすると、本当に英語は楽になると思います。

いずれにしても、困ったときは”have”か”get”と覚えておきましょう。

 

まず、haveについて見ていきます。どちらかというと、いつの間にかこんな使い方をしているという感じです。

I have a pen. (これが”持つ”という意味で基本かな)
I have a daughter.(娘がいます。)
I have a dinner with my family.(家族と夕食を食べます。)
I had a meeting yesterday.(昨日、会議がありました。)
Have a nice day!(良い一日を過ごしてください。)
I had fun today.(今日は楽しかった。)
I have a good idea.(いい考えがあります。)
I have a cold/fever.(風をひいています/熱があります。)
Please have a seat.(お座りください。)
I have to do it.(そうしなければならない。)
I have known him for ten years.(10年前から彼を知っている。)
I had my watch stolen.(時計を盗まれた。)
I’d like to have you meet him.(彼に会ってもらいたい。)

いかがですか?現在完了、過去完了などは動詞という使い方ではありませんが、最後の使役動詞(~させる)は、have+人+動詞原形、have+物+過去分詞ということを中学で習いましたよね。
前半の普通の使い方も、よく考えると、日本語の”持つ”という動詞として使っているものと、それ以上の使い方をしているものがあることがわかります。

英語の文章を連続して10センテンスくらい無作為に取り出してみると、必ず複数のhaveを発見できるはずです。それくらいhaveは重要な動詞ということです。

次はgetです。全部は説明しませんが、先に紹介した「getの使い方49」など、書籍なども出てますので詳しくはそちらを参照ください。辞書をじっくりと眺めるのもとても勉強になります。いくつかの例を挙げてみます。

I got a ticket.(切符をもらった。)
I got some good news.(いい知らせがあった。)
I got a visa.(ビザを取った。)
I’ll get you a cup of coffee.(コーヒーをお持ちします。)
When did you get here?(いつ来たの?)
She gets angry.(彼女は怒る。)
I got sick.(具合が悪くなった。)
I didn’t get your name.(お名前が聞き取れませんでした。)
Did you get it?(わかった?)
The cops got the bank robber.(警察は銀行強盗を捕まえた。)
He got her by the arm.(彼は彼女の腕をつかんだ。)
Did you get/have my hair cut?(髪の毛切った?)
Get the bug out of my room.(虫を部屋から出して!)
I can’t get this printer to work.(このプリンター、ちゃんと動かせません。)
Get a taxi!(タクシーを拾って!)
I got 5 at this hole.(このホールは5打だった。)
How did you get that answer?(その答えはどうやって出した?)

getは「得る」という意味で最初に習います。それが、到着する、もたらす、病気になる、聞き取る、理解する…など、本当にいろんな場面で使えます。

中学校で、「風をひく」はcatch coldだと習いますが、get coldでも通じます。むしろ、I got flu.という表現の方が実際には多いように思います。
ゴルフのスコア申告でgotを使うのは、なかなか調べてもわかりませんね。ゴルフ好きの方は使ってみてください。

例で示したものは、まだまだ一部で他にもいろんな使い方があります。get単体でもこれだけあるのですが、熟語になると、もっとたくさん、しかももっと意外な使い方があります。ほかの人の文章をみて真似して使ってみると、自分の中の引き出しが広がっていきます。

もし、話している途中で、どの動詞を使うかわからなくなったら、まず、getを置いて考えてみてはどうでしょうか?

 

 

常に英語戦闘モード

 

いろいろと苦労した末に、何とかビジネスで英語を使えると言えるかなと思い始めたころ、夢の中で英語を使っているときがあることに気が付きました。

よく、「英語で夢を見る」ということが、英語を学ぶ上で本当にすごいことで、憧れの状態だと言われていたと思いますが、なんともアッサリとその状態になっているのだと、自分でも驚いた覚えがあります。

でも、当時のことを考えると、ほぼ毎日、英語は使っていたし、上司と電話や対面で話すことも頻繁にありました。つまり夢に出てくる場面は、ほとんどが外人の上司や同僚と対面で話しているシーンなのです。

夢を見るって、実は日常と非現実が入り乱れた内容を思い浮かべるわけなので、日常に英語での会話が染みつくようになれば、英語のうまい下手ではなく、英語で夢を見ることになるのだと思ったわけです。

 

同じころ、もう一つ気付いたことがあって、普段、日本人と日本語の会話をしているときに、言いたいことに使う単語が、日本語よりも先に英語単語が頭に浮かぶことが頻繁に起こるようになったのです。

そうするとどうなるかというと、日本語の中に英単語がたくさん出てきてしまいます。

そのころ、外資系ではなく日本企業に勤める日本人の友人と話をすると、「お前の日本語はカタカナが多すぎてわかりづらい。」と言われることがありました。

はっきりと言わなかったですが、きっとキザな奴だと思っていたのかもしれません。ちょっと英語が使えるからって、ひけらかすような感じがしたのかもしれません。

一方、会社の外人とのコミュニケーションでは、外人と話すときは当然英語ですが、そばに日本人(お客さんや同僚)がいるときに、日本語で会話することがあるのですが、もちろん、必要に応じて後で外人にも何を話してたかを説明するのですが、そのときに外人の上司から言われたのは、「お前の日本語はなんとなく理解できる。」というものでした。

つまり、英単語がそこかしこに散りばめられていたのでしょう。断片的であっても、何を話しているかくらいはわかったのだと思います。

で、何が言いたいかというと、当時の私は、常にいつでも英語で話す準備を頭の中でしていた、というと恰好いい言い方ですが、そうしないと英語についていけなかったのだと思います。

当時を思い起こすと、一人で電車に乗っているときも、家でゆっくりしているときも、ずっと英語のことを考えていました。

 

それは苦しかったわけでは決してありません。自然に英語をしっかりと使いたい、という想いから自然にそうなっていたのだと思います。

そのころの外資系企業の日本オフィスには、日本人がたくさんいましたが、いわゆる帰国子女というネイティブレベルで英語ができる人と、私のように頑張って何とか英語をモノにした人の2種類の日本人がいましたが、後者の頑張って英語をモノにした人の方が、日本語に英単語が混じる頻度が高いように思えました。

つまり、本当のバイリンガル(帰国子女のような)は、頭の中で、英語モードと日本語モードを非常に柔軟に切り替えられるのに対して、普通の日本人にとっては、どっちかにスイッチを切り替えないと、柔軟に対応できないのではないかと思ったわけです。

英語をモノにする一つのヒントとして、「常に英語戦闘モード」を自分の中で形成してみてはいかがでしょうか?
キザだと思われても、考えたこと➡英語/英単語になるように頭の設定をしておくのです。

これは、もしかすると、日本人の英語教育にとってとても大事なことかもしれません。

 

日本企業に戻ってみて

 

外資系に転職してから約10年後に、縁があって日本企業に開発部門の部門長として戻ることになりました。

英語との格闘という世界は卒業になって、私の日本語も徐々に普通の状態(英単語が混じらない状態)に戻っていきましたが、その日本企業でも海外企業とも取引があって、たまに英語を使う機会はありました。使ってない分、単語力とか錆びついたりもしますが、文章を作る力はちゃんと残っているようです。

昨今、多くの日本企業で、グローバル化に対応しようと英語教育に力を入れている姿が目につきます。私のいた企業でも昇格の条件にTOEICのスコアを設定していました。

昇格のクラスによっても違いましたが、500点~600点くらいをボーダーラインとして設定していました。私の経験上、TOEIC600点では英語は使えないだろうな、とは思いましたが、制度として定着することで英語力の底上げを狙っていたのだと思います。

 

当時、私には150人ほどの部下がいたのですが、人事考課上は条件を満たしているのに、TOEICの点数が未達で翌年の昇格試験を受けれないかもしれないという部下が3人いたのです。

上司からも何とか手を打てないかと言われたのですが、「頑張れ!」って言うしかないじゃないかとそのときは思っていました。

その日の帰り道、通勤電車の中でふと、自分が苦労してきたポイントを伝えることで役に立てるのではないか、自分の英語力を錆びつかせないためにも、自分にとってもいいことなのではないかと思って、時間外で勉強会をやることを思いつきました。

強制はできないので、希望者を募る形で始業時間の1時間前に集まってやる形で、募集してみたところ11人の希望者があり(なんと対象の3人も入ってました)、週一回の勉強会を始めることになりました。

私自身の経験から、人のe-mailをたくさん読んで、表現力のワザを盗む、自分の意思を考えて英文を書くという訓練を続ける、ということを中心に進めました。

組織異動などもあってメンバーも入れ替わりでしたが2年半くらいは続けたでしょうか。無事、対象の3名も昇格基準を満たせるようになりました。

もともとTOEICの点数は、英語力を正確には伝えてないと思っていたので、「使える英語」ということをキーワードにしていました。

TOEICは話す力、書く力を見てないので私がやろうとしてた文章作成力向上とTOEIC点数向上とは必ずしも一致しないのですが、文章力が上がればTOEICも上がるだろうということで、3か月で全員100点アップを掲げたのですが、週一回での勉強ではそこまでは難しかったようです。

それでも、50点上がりました、次のテストでまた上がりましたと言ってお礼にくる部下たちもいたのは、とても励みになりました。

受講対象者は、TOEIC350点から550点くらいまでのメンバーでしたが、彼らのフィードバックを聞いてみると、人のe-mailを読み合わせて、ワザを盗むのは非常に効果があった。でも英語でメールを書くという課題は、かなり負担がかかって苦しいということでした。

何でもいいから私に毎週、メールを書きなさいと課題を出して、私が添削するということを始めたのですが、最初の2、3回までは良かったのですが、そこから筆が止まってしまいました。

聞くと、100単語くらいのメールを書くのに34時間かかってしまうということ、自分の英語力を考えると、書ける題材も限られて、何を書いていいかわからなくなる、ということでした。

途中で方針を変えて、フリーのメールという題材から、ショートセンテンスの英作文、ちょっと長めの英作文をときどき課題として出すようにすると、そんなに負担なくやれたようです。

メールを英語で書くというのは、本当に書く必要があるとか、楽しく書く目的があるとかがないと慣れないうちは難しいのかということがわかったのですが、それでもきちんと「使える英語」をモノにするためには、ここをしっかりやるしかないと、今でも思っています。

職場内での限られた時間(週一回、1時間)ではありましたが、自分にとってもいい勉強になりました。この期間で、このやり方だけで、本物の使える英語にはなりませんでしたが、生徒たちの実感として英語力向上には役立てたのかと思います。

あとは、本当に英文メールを書く環境、本気で書く必要、書くことに対するモチベーションを上げることで、最初は3時間かかって100単語のメールを作っていても、それが1時間になり、さらに向上して徐々に数分で辞書なしでも書けるようになり、引いては普段の会話のスピードで、言いたいことが発言できるようになるという、当たり前に必要なステップを楽しく、自然にできる環境を作ることが必要だと思っていると同時に、それを私の仕事にしていきたいとも思うこの頃であります。

 

格闘して英語力はどう伸びた?

 

格闘記を読んでいただいた読者から、結局どうやって英語力が伸びたのか、何が一番効果があったのか、という質問をいただきました。

エッセンスしか書かれてないので、時間軸で何をやってどの程度伸びたかを少しまとめてます。
あまりTOEICとか、資格関係の受験はしていないのですが、わかっている範囲でのTOEICスコア、あるいは定性的な表現でレベルの変遷についてお話しします。

1.日本企業時代

30歳前半で会社の指示で初めてTOECIを受けたときのスコアは430点くらいだったと思います。30歳代後半に、会社から中級クラスの英語トレーニングを受けさせてもらいました。

週2回、1回あたり2時間で6人くらいのクラスでした。外人の先生(男性と女性が交互に)が会社に来てくれて、会議室を使ってトレーニングしていただけるという恵まれたクラスで、プレゼンテーションの練習などもやってくれたのを覚えています。

トータルで3か月くらい、トレーニング終了後にTOEICを受けたのですが、490点だったと思います。
その後、外資系に転職するのですが、転職時はその程度のレベルです。

2.外資系転職直後

外資系への転職が決まって、英語を何とかしなければと、転職直前から英会話スクール(Novaでした)のマンツーマンクラスの受講を始めました。

転職前1か月、転職後に3か月くらいだったと思います。
Novaはテキストなどはなかったので、講師と相談しながら学習内容を決めて進めました。

転職後に会議でプレゼンしなければいけなかったので、それに時間をかけて添削指導してもらったのを覚えています。

外資系に移ってからは、毎日、本社のあるアメリカ西海岸とのe-mailでコミュニケーションをすることが中心でした。毎日、最初のころは5通くらい、徐々に増えていって半年後には一日20通くらいのe-mailをやり取りしていたと思います。

朝方は本社から電話がかかってくることもあり、かなり怪しい会話をして、それをe-mailで確認しながらフォローをするということの繰り返しです。

e-mailを書くのに、和英辞書を片時も離さず、時間をかけて文章を作っていました。
e-mailを書く時間が、最初は一通書くのに1時間くらいかけてたかもしれません。

それが少しずつ短くなっていくのですが、半年たって2倍くらいのスピードにはなったかもしれません。

転職後3か月で、シンガポールへ出張に行ったのですが、格闘記でも書きましたが、かなり苦しいトレーニング出張になりました。

シンガポールに行ったころに受けたTOEICが590点でした。

3.転職後一年

転職後一年、とにかく毎日が英語との格闘で、相変わらず朝の電話会議と、e-mailでのコミュニケーションですが、一年後には英和辞典を使う頻度はかなり減っていました。

半年後くらいから、日本企業のお客様と本社にいっしょに出張したり、本社から来た外人をお客様のところに連れていくことも多くなり、英語が苦手なお客様に通訳をするようになりました(私の方は少しましだったというレベル)。

相当怪しい通訳でしたが、これはかなり勉強になりました。

最初は怪しかった通訳も、回数を重ね、いつも顔を合わせる外人も固定化されて仲良くなって癖のようなこともわかってくると、一年後くらいのときには、日本企業のお客様にも通訳の存在として感謝されるようになってきました。

もちろん、完全に聞きとれなかったり、どう英語表現するか迷うときも多々ありましたが、わからないことを聞けるようになる、表現力が足りないときは時間をかけて、図を書いたりしながら補間するようになっていました。

仲良くなったアメリカ人に、まだ英語が自信ないようなことを言うと、お前の英語は十分OKだと言われたのもこのころです。

一年たっても、e-mailを頼りにしてコミュニケーションを確実にするということは継続していました。このころまでにはずいぶんと自信はついたように思います。毎日英語を使うようになって一年で、英語恐怖心のようなものはなくなっていました。

一番の貢献はやはりe-mailだと思いますが、無理矢理の通訳もかなり力になったかもしれません。

4.転職後2年目から

2年目になって、仕事も順調で外人さんとの交流も増えてくると、外人さんとの相性というのを意識するようになった気がします。

Face-to-faceで話していても、とても話しやすい人と、話がわかりづらい人とが存在するようになりました。発音やイントネーションのクセや、使う単語や構文の違いなどではないかと思いますが、今でも苦手なタイプがありますね。

2年目くらいになると、普段の仕事で困ることもなくなってきて、ちょっと中だるみというか向上心がなくなってくるようなこともありました。

でも、相変わらずe-mailでのやり取りは毎日続いていて、仕事量も増えるとe-mailも一日30通以上になってきて、知らず知らずのうちに相手からくるe-mailでこんな表現もあるのかということを学び、それを自分が書くときに使うということを意識し始めると、英語が面白く感じるようにもなってきていました。

このころ、haveやgetなどのキーになる動詞を幅広く使えるようになったのと、話すときに日本語を作ってから英語にするのではなく、言いたいことを最初から英語で考えながら文章を作るようになっていました。

ここまで来るのに、毎日英語を使っていても2年かかったということです。

外資系転職後2年がたったころにTOEICを受けたときは、750点でした。

5.その後

時間がたって英語にも慣れてきて、その後の変化については、あまり覚えてないかもしれません。

転職後2年半くらいで、会社も変わって直属の上司がアメリカ人やドイツ人ということになっていきます。

開発のプロジェクトでアメリカ人、ヨーロッパや中国、台湾の人たちと顔を突き合わせて仕事をすることも多くなり、英語力も自然に上がっていきます。

TOEICスコアは最後に受けたのがもうだいぶ前ですが、845点でした。

その後も英語力は伸びていると思うので、本人の想いとしては900点超はあると思っているのですが、今は受けるモチベーションもなく受けていません。

TOEICは、実は英会話力を測るのは適切ではないという意見もあります。TOEFLやIELTSなどの方が英語力を的確に表せるというということで、TOEIC一本調子が見直されつつあるようです。それはそれとして、、、

3年目くらいになると、完全な英語戦闘モードになっていました。頭の中はいつでも英語に対応できるように自分を奮い立たせていて、日本語の中に英単語がしきりに入るようになっていて、友人からは煙たがられていたかもしれません。

また、毎日、上司とも会話をしていたので、夢を英語でみるようになったのもこのころです。

そうですね。何とか使えるようになるのに、毎日仕事で使っていても3年かかってしまいました。それでもまだ完璧ではないかもしれません。

私のセンスが日本人の平均と比べてどうかということもありますが、いずれにしても、帰国子女でもなければ日本人にとっての英語はハードル高いというのが個人的な感想です。

ただ、では最初の3年間で、どの時点で仕事としてつかえるようになったのかといえば、実は最初から仕事として使っているのです。

無茶苦茶だったかもしれないし、だれかに迷惑がかかったのかもしれませんが、仕事としてこなしていたわけですから、仕事として始めから使えていたのです。

だから、結論から言うと、一日も早く、本物のコミュニケーションをする場に飛び込むこと、これだけだと思います。

あとは、そうは言っても、最初から気持ちがめげてしまって自信が持てないと英語が嫌いになってしまうので、日本人にとっては、”書く”というところ、つまりはe-mailでの実践コミュニケーションをお勧めするわけです。

英和辞書を片手に、1時間でも2時間でもいいから、心のこもったe-mail、文章を作っていくことで表現力を磨いて、英語が好きになることを忘れずに、そこから実際の会話に進んで行くのがベストだと、私は思います。

 

 

 

プロフィール
賀門 康至

生まれ : 1957年7月
出身/住居 : 東京都出身 横浜市在住
大学の専攻 : 工学部電気工学科
家族 : 妻と娘1人
趣味 : ゴルフ、ホームページ作成
現職 : 製品開発コンサルタント

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